Kazu:異国の地で見つけたアイアンガーヨガの真髄
One World, Many Asanas vol.5
「One World, Many Asana」は、世界中の人々がどのようにヨガを実生活に取り入れて実践しているのか探求し、共有することを目的とするプロジェクトです。
今回インタビューしたのは、パリ・東京の2拠点で活動し、UTLでもアイアンガーヨガを指導するKazu先生。日本から上海、パリへ、会社員からアイアンガーヨガ指導者へ。様々な転機を経て今に至る彩り豊かなヒストリーをたどります。
#上海ライフとヨガとの出会い
UTL 以前は中国の上海に暮らしていたそうですが、どんな生活を送っていましたか。
Kazu 上海ではアメリカの大手広告代理店で仕事をしていました。平日は朝早くから夜中まで働きクライアント接待も多かったです。上海に行ったのはキャリアを磨きたい、外国語で仕事をしたい、といった理由でした。私が思い描く人生を自分で築いていきたいけれど、日本ではそれが難しいと感じていて、当時は中国が最も発展していく過程にありおもしろい時期だったので思い切って飛び込みました。
”Work Hard, Play Hard”がモットーで、仕事後も毎晩のようにパーティーをして、新しい友達、新しいカフェやレストラン、新しいプロジェクト、その連続がとても楽しかったです。でもやればやるほど時間の余裕はなくなり、体を壊したり、あれやこれやと常に考えていて落ち着きがなくイライラすることもありました。言葉やカルチャーの問題、大気汚染と行った生活環境から生じるストレスも多かったです。
UTL そんな自分をケアするためにヨガを始めたのですか。
Kazu ヨガとの出会いは、同僚のアデルという女性がきっかけでした。彼女は私よりも数年前に代理店を辞め、上海で一番人気があったヨガスタジオで働いていました。一緒にイタリアを旅行したとき、彼女はヨガグッズを持ってきていて、ヨガはとてもいいからぜひやるべきだと勧められました。当時の私はヨガの世界やスポーツとは全く無縁で、そこで初めてヨガの存在を知り、上海に戻ってから彼女とスタジオに行ってみました。
UTL 初めて経験するヨガは楽しめましたか。
Kazu 何でも自分で見つけられる、と信じてきた私にとって、ヨガにはハンマーで心身を叩き続けられるような衝撃を受けました。というのも、体が思うように動かないどころか、痛いし重いし、皆ができるポーズができなかったからです。クラスの雰囲気が良かったので劣等感はなかったけど、楽しくヨガに通うという感じではなかったです。でも行くたびに体がわずかながらも開いていくあの感覚、深いシャバサナで癒されていく感じが忘れられず、とにかくクラスに足しげく通いました。何かない限りは毎日、日によっては一日に2回も。当時は仕事がとにかくハードだったので、会社という環境から抜け出せる空間がほしくて、ヨガスタジオという、仕事とはまったく違う世界に身を置くことが心地良かったのを覚えています。
UTL ヨガを始めて体と心に起きた変化はありますか。
Kazu 自分と向き合うことで、違うタイプの友人などを受け入れる柔軟性や、受け入れたくない自分を愛情を持って受け入れられるようになりました。ほかには、体を動かすようになったこことで、とにかくよく眠れるようになりました。
ヨガとの出会いは上海
#2 ライフスタイルの転換とヴィーガンカフェ開業
UTL ヨガで体と心の変化を感じ始めてから、さらに学びへの意欲は高まりましたか。
Kazu ヨガを学びに、バカンスを利用してインドのリシュケシュに行こうと思い、会社のボスに相談したんです。そうしたら、インド出身の彼いわく、リシュケシュはやめてケララにしなさい、と。それでパンチャカルマをするためにケララに行き、ヨガと食事がセットになった二週間強のパッケージを体験しました。
私が訪れたのはケララの緑溢れるインスティテュートで、トリートメントが終わると、各人に準備された小さなコテージで庭を見ながらゆっくりとした時間を過ごすことができて、これは天国じゃないかと思いました。コップにモリモリに入れられたギーを飲むとき以外は……。
UTL 2週間の滞在中、自分の中で何が変わりましたか。
Kazu 食事は完全ベジタリアン食で、南インド料理は軽いし、新鮮なフレッシュジュースやフルーツで体の細胞の中の中まできれいになっていく感じがありました。魚肉なしをやってみると食べ物が軽くなったからか、ガツガツすること、イラついたり怒ったりすることが極端に少なくなったことに気づいて、少しこのままで行こうと決めました。結局、そこから8年間ヴィーガン生活です。
ほかには、当時30足近く持っていたハイヒールの靴や、大きな化粧箱に溢れる化粧品が、何もいらないと感じるようになり、会社の会議室で皆に無料で持って行ってもらいました。いろんなものがいらなくなって軽くなり、楽になりましたね。
UTL その後、上海でヴィーガンカフェを開業することになったのですか。
Kazu 上海ではイタリア人女性と長年ルームシェアをしていて、彼女はよくイタリア料理をつくってくれました。イタリアの友人もたくさんできたのですが、「おいしい店がないよね」という話になり、会社員とダブルワークでイタリアンレストランを始めようと思ったんです。ちょうど大学時代の親友がイタリアで本格的に料理を学んでいたこともあり、彼女を上海に呼んで店をオープンしました。
しかし彼女は中国の生活が好きになれず数ヵ月で日本に帰りたいと言ってきて。それで店は休業し、私は会社も休んでケララに行ったわけですが、帰ってきたらベジタリアン生活がよくなっていたし、知り合いのヨガの先生がヴィーガンカレシピを次々に渡してくれたので、2008年にヴィーガンカフェを開くことにしたんです。赤いシックなイタリアンからお寺を思わせる黄色いヴィーガンカフェになりました。「Annamaya(アナマヤ)」という店名もその先生がくださいました。
UTL 当時の上海でヴィーガンカフェは、すぐに受け入れられましたか。
Kazu 中華の精進料理は少ないながらあったものの、ヴィーガンカフェ、マクロビカフェといったものはまだなくて、珍しさからすぐに話題になりメディア取材も多かったです。旅行ガイドの『地球の歩き方』にも毎年掲載されました。外国人や中国人でヘルシー志向の人たちが多く集まり、エリアもフランス租界地の中心部だったので、とてもポピュラーになりました。ヨガティーチャーやヨギ、ヨギーニも集まり、月一で50人以上集まるマインドフルネスの定期会合も開かれ、カップルも誕生していきましたよ。通ってくれた中国の若者たちも最先端の考え方をしていた人のグループで、とてもおもしろかったです。
UTL ヴィーガンカフェはどのくらい続けましたか。
Kazu パリに移住する2014年まで営業していました。その間、カフェを通じて知り合ったヨガティーチャーたちと話しているうちに、さらにヨガへの興味が高まり、カフェに「Darshana(ダルシャナ)」というヨガスタジオを併設して、ヨガ指導を始めました。その後、もうそろそろ辞めてもいいかなという気持ちと、自分のための練習を深めたいという思いからヨガスタジオをイギリス人の方に引き継ぎ、私はどこかほかの場所に行こうと思い立ちました。
UTL “どこかほかの場所”にパリを選んだ理由とは。
Kazu 私はそれまで出張などでアジア圏を訪れることが多かったので、行ったことのない場所に行こうと思い、まずは中国を出ようと決めました。それでヨーロッパを選んだところ、パリに着いたときになんて自由なんだろうと衝撃を受けたんです。のんびりしているし、絵や音楽にとても癒されたのでパリを試してみようと思いました。
黄色いヴィーガンカフェ「Annamaya(アナマヤ)」
#3 アイアンガーヨガへの専念とパリでの活動
UTL パリでは、念願だったヨガの練習の機会に恵まれましたか。
Kazu パリで暮らすことを決めた大きな理由の一つが、アイアンガーヨガを本格的に学ぶことだったので、家の近くにあった「Centre de Yoga Iyengar de Paris」に通い始めました。アイアンガーヨガのメソッドはとてもクリアで、ポーズの中で何をどうするかを一番しっかり教えてくれて、ポーズの手ほどきに長けたヨガだと思います。私の場合、何年もヨガをしていているのに途中からなかなか上達しないなあと思うことがありましたが、できなかったポーズができるようになったことが、アイアンガーヨガに惹かれた一番の理由だと思います。それと同時に体の中の中、またその奥の方まで具体的に意識を持っていくので、細胞の隅々まで届いていく感じが魅力的でした。
UTL 「Centre de Yoga Iyengar de Paris」での学びの日々について教えてください。
Kazu パリのセンターを開いたファエクビリア先生は、グルジの秘書を長年やられていて、アイアンガーヨガコミュニティの中では知らない人はいないほど著名な方です。私は2015年にこのセンターに入り、2016年から3年間のトレーニングを受けました。
トレーニングは150人以上の希望者から50人が選抜されて、日本人は私と大学の先輩二人でした。とにかく厳しいトレーニングで、資格を取るために必要なアーサナを細かく学ぶだけでなく、生徒と先生で討論もします。毎日の練習内容も細かく決まっていて、アーサナ以外にインドヨガの古典、バガヴァッド ギーターやヨーガスートラも全て細かく勉強しました。大量の宿題と毎回テストもあって、皆の前でスコアを発表されるのはきつかったです。
トレーニングは土日は一日約8時間で、夏の集中合宿は一週間、朝6時から夜8時まで行います。貴重な学びと経験をさせていただけたことには本当に感謝しかないです。
UTL 特に印象に残っているティーチャーはいますか。
Kazu パリのセンターに通うきっかけをつくってくださったコリン先生です。そしてコリン先生には本当に長くセラピークラスで診ていただきました。私はヘッドスタンドで首に体重をかける間違ったやり方で練習を続けたところ、頸椎椎間板ヘルニアを患い、数ヶ月間首を回せなくなってしまいました。その際、コリン先生に治していただき、先生のセラピークラスなしではヨガを続けていけなかったと思います。
Centre de Yoga Iyengar de Parisにて
#4 国際的な学びとシニアティーチャーからの指導
UTL ヨガ指導者になってから深い学びを続けていると聞きました。具体的に教えてください。
Kazu 一つはAdvanced Senior Level IIを獲得したDavid Meloni師の集中講座です。師はアイアンガーの旧システムでほかの誰も持っていなかった一番高いレベル、Advanced Senior Level IIを獲得しています。北京のスタジオで2018年の終わりからコロナの直前まで夏と冬に開催され、毎回参加していました。これは二週間近くにわたる毎日6時間前後の講座で、強い集中力と精神力を養える環境でした。
先生のクラスはスピードが速く、構築されたロジックに従ってポーズを築いていくのが特徴です。先生にシンクロして動くのは容易でなく、高い集中力と深いポーズへの理解が求められますが、生徒には決して強要しません。またプロップは病気で弱い人だけが使うものではなく、正しくポーズをするために必要な体の動き、意識を学ぶための道具として使います。プロップに頼らないけど、プロップがもたらすポーズの正しいインプリントを使って精度を高める、という教授法は、私のクラスで活用させてもらっています。
UTL インドのプネ学院本部も定期的に訪れていますね。
Kazu そうですね。プネのティーチングはとてもダイレクトでシンプルです。アイアンガーヨガは一定の知識と経験に基づき資格を受けたものしか教えられませんが、そこにも指導者自身の理解や経験のバイアスがかかっていくことは否めません。
一方、プネの教えはアイアンガーファミリーとグルジにとても近い弟子のみが教えているので、最もピュアで正確なアイアンガーヨガを学べる場所と言えます。また『ハタヨガの真髄』は私たちにとってのバイブルであることは間違いありませんが、それが出版されてからグルジご自身は何十年もかけて進化し続けました。学院ではその進化した部分、最新のアイアンガーヨガを学ぶこともできます。
指導者にとって、ピュアでアップデートされたアイアンガーヨガを学ぶことは不可欠ですが、練習者にとっても最速かつ最適にアイアンガーヨガを学べる場所であると言えます。アイアンガーヨガのテクニック以外の部分、精神性、ハートのようなものを知っておくことも練習を深めるために必要だと思います。
David Meloni師の集中講座の様子
#5 日本とフランスでの指導
UTL 現在はフランスで「SAMYAMA YOGA」を立ち上げ、日本でも指導を行っていますが、指導するなかで感じることやチャレンジングな経験はありますか。Kazu 日本の生徒さんはおとなしいというか、みんなで触れ合いながら積極的に学ぶという姿勢がちょっと少ないように感じます。対するフランスの生徒さんは自発的であり、ロジックを気にするのが印象的。体よりも頭で考えるので、体と頭を結びつけていくティーチングは私にとってのチャレンジと言えます。
UTL 現在、UTLで開催中のコースについて教えてください。
Kazu UTLでは、週一のオンラインクラスに加え、定期ワークショップを開催しています。オンラインクラスでは、週ごとにアーサナを前屈、後屈などのカテゴリーに分けて学びます。プネやパリでもこの風習があり、結果としてすべてのカテゴリーをもらさず学べる利点があります。
ワークショップでは、プネの学院が定めるレベル1に属するポーズを丁寧に見ていきます。どちらかというと専門的ですが、アイアンガーヨガの資格を取りたい方にはポイントを効率的に学べますし、練習者にとってもコツを押さえるのに良いと思います。
Kazu先生が立ち上げたパリのヨガスタジオ
あとがき
日本を飛び出して上海、パリへ。そして会社員、ヴィーガンカフェオーナーを経てヨガティーチャーになったKazu先生。咲く場所と役割をそのつど自らに問い、内からの声に従って動く嘘のない生き方が印象的でした。ぜひ先生のクラスを受講してそのスピリッツに触れてください。
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