Kranti(クランティ):アシュタンガとの出会いと学びの旅路
One World, Many Asanas vol.3
「One World, Many Asana」は、世界中の人々がどのようにヨガを実生活に取り入れて実践しているのか探求し、共有することを目的とするプロジェクトです。
アシュタンガヨガの正式認定講師であり、UTLでヨガアライアンス資格認定コースのリードトレーナーも務めるKranti(クランティ)。アシュタンガヨガの経歴、アシュタンガヨガ以外に学んできたこと。そして、先入観を持たず、いつもオープンマインドで好奇心を持つ、自分にとって価値のあるものは徹底して継続するといった、彼が人生で大切にしていることまで伺いました。
#1 若きクランティの冒険:Osho、インド初訪問、イタリアでのヨガ修行
UTL 若い頃にOsho(*1)の本に出会っていますね。何がきっかけで読み始めたんでしょうか?また、どんな影響を受けましたか?
(*1)Oshoは、インド生まれの宗教指導者、哲学者、作家であり、1970年代から1980年代にかけて世界中に多くの信者がいた。個人の自由と自己実現を重んじる教えで知られている。
Kranti 14、15歳の頃、Oshoの本をはじめて手にしました。
少し年上の友達が瞑想についての本を読んでいて、とても興味を持ちました。図書館に行って瞑想の本を読んだり、彼におすすめの本を聞いたりするようになりました。その中でOshoの本に出会い、その表現方法が強く響きました。
私は幼い頃から、心の働き、物事の考え方、などにとても興味を持っていました。それらについてもっと本を読んで、もっと深く知りたいと思っていました。Oshoの本を読むことで私の好奇心は高まり、ヨガのアーサナや、タントラや瞑想など、この世界全体に対して興味が広がるきっかけになりました。
UTL 14歳くらいだとサッカーやゲームに夢中な子どもが多いのに、なぜ瞑想や哲学的なことに興味を持ったのですか?
Kranti もともと内面的なことに興味があったんです。どのように脳が機能しているか、なぜ私たちはあることをするのか、どのように行動を変えることができるか、等に興味を持っていました。私は常に物事や状況、人々に関して問いかけをしていました。
UTL その後、1991年に初めてインドに旅行したと伺いました。
Kranti 今のように情報も簡単に入らないので、インドに行く前には、本やテレビ、先輩たちの話などから情報を得ていました。当時、近所によくサッカーをする7〜8歳年上の友達がいて、よく遊んでいました。
音楽が好きな人たちだったんですが、その中にインドにいったことがある人たちがいて、インドについて話をしていました。彼らが話していた内容は、私にとってとても魅力的でした。そして、より多くのことを学ぶためにインドに行きたいと思うようになりました。インドや瞑想の本を読んでいたので、自分で直接経験したかったのです。
それで、半年間の休暇をとって出発しました。当時は学校で習った程度の英語しか話せなかったんですけどね。
UTL それが今につながるヨガとの出会いだったというわけですね。それは何歳くらいのときでしたか?
Kranti 21歳でした。
UTL イタリアに帰って来てから、ミラノでカルロ・パトリアンから学んだんですよね。
Kranti はい。カルロ・パトリアンは、イタリアにおけるヨガの先駆者の一人で、イタリアで最初に本格的なハタヨガを教えた人物の一人です。私はイタリアでヨガを習い始めて、クラスを受けていました。そして、より深く学びたくなったので、彼のハタヨガのコースを1年間受けることにしました。
それは週末に行われる集中コースで、土曜日と日曜日に2回行われました。彼自身が教えるだけでなく、外部から教師を招待していました。解剖学の専門家、ヨガセラピーの専門家、サンスクリットの専門家など、それぞれの分野の専門家が教えてくれました。ときにはインドから専門家を招待していました。
UTL 各分野の専門家が教えるのは、UTLのティーチャートレーニングと同じ形式ですね。
バイクは若い頃からの趣味で、日本に移住した今も続けている。
#2 アシュタンガヨガとの出会いと、リチャード・フリーマンとの特別な経験
UTL アシュタンガヨガは、あなたのヨガ人生にとって、重要な部分を占めていると思います。初めてドイツ・ベルリンでアシュタンガヨガに出会ったとき、何が印象的でしたか?
Kranti まず、その練習の強度、流れに引き込まれました。アシュタンガヨガに出会うまで、ハタヨガ、ヴィンヤサフローを練習していましたが、アシュタンガクラスに初めて行ったとき、体力的に圧倒されました。しかし、家に帰って夜に考えたとき、もう一度行くのが楽しみになりました。以前も楽しかったのですが、これほど引き込まれたことはありませんでした。そして、レッドクラス(*2)に参加し始めました。しかし、最良の方法は、マイソールスタイル(*3)で練習することだと気づいたため、そのクラスに行くことにしました。
(*2)インストラクターのカウントに合わせて、決められた順番でポーズをとるクラスである。
(*3)インド・マイソールで伝統的に指導されているアシュタンガヨガの練習方法。決められた順番でアーサナを練習し、指導者は生徒一人ひとりの練習を見ながら、必要に応じてアジャストメント(ポーズの調整)やアドバイスを行う。
UTL それから、アメリカ・ボルダーでRichard Freeman(リチャード・フリーマン)(*4)のワークショップや集中トレーニングに参加することになりました。アシュタンガヨガ、瞑想、哲学の理解など、どんな影響を受けましたか?
(*4)リチャード・フリーマンは、アシュタンガ・ヨガの指導で知られるアメリカ人ヨガ講師。1990年代にパタビジョイス・ジョイスと共にトレーニングを受け、以来、世界中でアシュタンガ・ヨガを指導している。コロラド州ボルダーのYoga Workshopの共同創設者であり、「The Mirror of Yoga」「The Art of Vinyasa.」等のヨガ書籍も執筆。
Kranti フランスのパリで2、3日、彼のワークショップを受けたとき、本当に心を打たれました。自分を表現する方法、ヨガのコンセプトを表現する方法、教え方など、とてもとても魅力的でした。
ワークショップで「あ、わかった!」と腑に落ちたことがいくつかあり、他の先生からはこれまで得られなかったことでした。それで彼の指導者養成プログラムに応募したのですが、40人の定員を超えていたために断られました。でも、私はそんなに簡単に諦める人ではありません。直接彼に連絡を取り、パリのワークショップに参加していたこと、彼と彼の教えに対する私の気持ちを伝えました。
そうすると魔法が起こりました。しばらくして「来てもいいよ」という返信があり、2003年に1か月間の集中トレーニングを受けました。何かを手に入れたいとき、相手に対して尊敬の気持ちを持ちつつ、あきらめないで出来ることすべてを試してみることが大切だと思います。
アシュタンガヨガを始めたベルリン時代のクランティ。
#3 マイソールでの変革的な体験、アシュタンガヨガ正式認定講師としての想い
UTL アシュタンガヨガを学んだ後、今度はパタビ・ジョイス(*5)(*以下、グルジ)とシャラート・ジョイス(*6)の下で学び始めました。2人との出会いは、あなたにとって変革的であったに違いありません。2人からはどんなことを学びましたか?
(*5)パタビ・ジョイスは、インドのヨガ指導者でありアシュタンガヨガの創始者。1948年、マイソールにアシュタンガ・ヨガ研究所を設立して世界に広めた。
(*6)シャラート・ジョイスはインドのヨガ指導者、アシュタンガヨガの後継者。パタビ・ジョイスの孫であり、幼少期から祖父の指導を受け、アシュタンガヨガの伝統を受け継いでいる。2009年にパタビ・ジョイスが亡くなった後、アシュタンガヨガ研究所のディレクターに就任。
Kranti それまでにインドには何度か行ったことはあったものの、まだマイソール(*7)に行きたいとは思ってなかったのですが、2005年には大きな転機がありました。
(*7)アシュタンガヨガの聖地。現在も、世界中から多くのアシュタンガヨガの練習生が訪れ、学んでいる。
いろいろな人たちの意見に影響を受けて、グルジについての異なった意見がありました。とても好意的な人もいれば、「何も学べない」「体を壊される」と言う人もいて、少し抵抗を感じていました。
しかし、2005年に私は人生に大きな変化があり、何かを変えたいと思っていたのです。そこで1年の休暇をとってインドに行くことにしました。人々の意見を聞きつつも、最終的にはそこで起きていることを感じ、見るために、行ってみることにしたのです。
2005年はグルジが90歳になる年でした。大きな祝賀会が行われ、シャラートが補助しながらシャーラ(マイソールのヨガスタジオ)で教えていました。
グルジの教えはとてもエネルギッシュでした。90歳になっていたのでドロップバック(高難度な後屈のシークエンス)をしたりすることはありませんでしたが、スタジオを動き回り、生徒の補助をしていました。90歳の老人が動き回っている姿を想像してみてください。
グルジは英語があまり上手ではなかったこともあり、言葉で伝えられないことを表現するために目を見つめられる感覚があって、、、そんな感じがしたんです。それからほぼ5ヶ月間そこに滞在しました。
UTL それがマイソールへの初めての旅だったんですよね。
Kranti はい、最初の旅でした。それ以来、2019年まで毎年マイソールに行っていました。
UTL またマイソールに戻る予定はありますか?
Kranti いいえ、今後戻る予定はありません。ここ数年間でたくさんのことが起こりました。基本的に、自由な時間にはイタリアの母親と過ごすことに決めました。
1年のうち2-3ヶ月休んで、その時間を母親と過ごしたいと思っています。彼女は今1人でいるので、彼女を1人にしたまま毎月1か月または2か月、マイソールで過ごすことは考えられません。
彼女はますます多くの助けが必要になるでしょう。これが今の私の優先事項です。
UTL クランティはアシュタンガヨガ正式認定講師(*8)のうちの1人です。この栄誉を受けたときの気持ちはどうでしたか?
(*8)クランティがアシュタンガヨガ正式認定講師として認定されたのが2012年。世界で38名のみの狭き門だった。現在は約70名の正式認定講師がいる。
Kranti 正直言って、予想もしていませんでした。認定は自動的に与えられるものではなく、体が強く柔軟であったり、すべてのアーサナを行えるからといって与えられるわけではありません。そんな単純なものではありません。
シャラートは独自の認識、アイデアを持っています。そのため、世界中で認定された講師は少数です。でも今後ますます増えていくと思いますよ。世代が変わっていることは明らかです。近いうちに日本人の正式認定講師が現れることを確信しています。私もそれを楽しみにしています。
UTL 日本人の正式認定講師、楽しみですね。
敬愛する師、パタビ・ジョイスと。
#4 継続と変革:ヨガの深い学びと挑戦の果てに
UTL Oshoの本を読むところから始まり、インドで学び、アシュタンガの正式認定講師になって、、素晴らしいヨガ人生ですね。
Kranti はい、他にも様々なことを学びました。例えば、ヨガセラピーを学ぶために1年近くロンドンに行きました。アメリカではJoseph Le Page(ジョゼフ・ルペイジ)の統合ヨガセラピーコースを2週間受講しました。Yoga Worksでのティーチャートレーニングも受けました。2ヶ月間、Lisa Walford(リサ・ウォルフォード)(*9)、Maty Ezraty(マティ・エズラティ)(*10)、他にも素晴らしい先生方に学びました。私が出会った中でも最高の先生たちだと思います。Lisa、Maty、Chuk Miller(チャック・ミラー)(*11)はUTLにも来ましたよね。
(*9)リサ・ウォルフォード:有名なアイアンガーヨガの先生であるとともに、YogaWorks Teacher Training Programのカリキュラムディレクターを長年勤めた。
(*10)マティ・エズラティ:アメリカ最大のヨガスタジオチェーン、YogaWorksを共同設立し、YogaWorks Teacher Training Programを作成した。2019年に55歳で亡くなる。
(*11)チャック・ミラー:マティ・エズラティとともにYogarksを設立した。1971年にヨガを始め、1980年から18年以上、アシュタンガヨガの練習方法とその根底にある哲学システムを創設者パタビ・ジョイス氏から1対1で学んだ。
前に進み続けるために、伝統的なヨガとは直接関係のないものを学ぶこともあります。
私たちは常に学び続けるべきで、学ぶことの幅も広げるべきだと思います。一つの考えや概念に留まることなく、よりオープンになるように努めましょう。
UTL 今ではアシュタンガヨガをマイソールスタイルで教えていますが、学んだことがすべて統合されて影響しているんですね。
Kranti 学んだこと、経験したこと、理解したこと、すべて影響を受けています。生徒からも学んでいます。10年前の教え方と今の教え方は全く違います。おそらく10年後はまた違うでしょう。
UTL ところで、日本の皆さんは興味があると思うのですが、クランティが日本に来たきっかけは何ですか?
Kranti 2005年にマイソールで練習していたとき、日本人、中国人、韓国人など多くのアジア人に出会いました。自国でヨガが人気になっており、ヨガを教える仕事があると話していました。その後、ピュアヨガ(香港や台湾などで展開するヨガスタジオチェーン)のマネージャーと連絡を取りつつ、東京のスタジオにも連絡しました。いくつか可能性がある中で、面白そうだと感じたので最終的に東京を選びました。
異なる国、異なる言語、異なる文化の環境で住むことになって困難もありましたが、日本が好きになり、今まで長く滞在しています。また、毎年イタリアの家族や友人と過ごすことができるのも、私にとっては幸運でした。
UTL どんなことでも困難を超えると面白いことが見えてくるわけですね。さて、ヨガを通じて人々の変革をお手伝いする講師の立場として、これからヨガを始めようとする人にどのようなアドバイスをしますか?
Kranti まず好奇心を持って何かに向かっていくこと。
これが最も重要なことだと思います。目の前に何が来ようと、オープンマインドで向かい合い、それが自分にとって良いもので進むべき道であるかどうか、最終的には自分自身で決定する。
ヨガに関しては、多くの分野やスタイルがあります。それを決めるのが次のステップです。特定のスタイル、先生があなたに響くかもしれません。その後、その先生の道に従うことになるでしょう。それは年月が経つにつれて変わるかもしれません。でも、オープンマインドで好奇心を持って、目の前で何が起きているのかを観察するようにしてください。
UTL 常に進化しているのですね。最後にUTLの生徒さんたちに、メッセージをお願いします。
Kranti 変革というのは、何かを一貫してやり続ける中で起こると思います。瞬時に起こるものではありません。何ヶ月も何年も深い変化がでるまでやり続けなければなりません。まずは、体の動きなど外側から始まりますが、徐々に内面的な意識が洗練されていくようになります。
その段階に達すると、あることに気づき始めるでしょう。変化は、時間をかけて徐々に起こるものです。私からの提案は、どんな分野であってもまずやってみて、続けて、やっていることに意識を向けて、楽しむことです。何か結果を得たい場合は、時間と努力をかけ、規律正しくあることが必要です。ヨガも変わりありません。これらのことに身を任せてください。
UTL 継続し、学び続ける。ですね!
Kranti 時間がかかるかもしれませんが、最終的には、内側から感じるものに耳を傾ける必要があります。だから、私はヨガが最高のものだとは言いません。ヨガは私にとっては良かったですし、何百万人、何千万人もの人にとっても良いかもしれませんが、全員に良い、やるべきだと言うことはできません。
人々はあなたの進む道をサポートしてくれます。先生、学校、そして社会システムが、あなたの進む道をサポートしてくれます、ただ、あなた自身が楽しむことができ、またあなたにとって価値のあるものを提供してくれるものでなければ、それは進む道ではありません。
やっていて心地よくないと感じ続けているなら、自分自身を無理にやらせることはできません。ヨガも、あなたが役立っていると感じる場合にのみ役立ちます。興味を持っているものであれば、うまくいくでしょう。
UTL 心の声を聞いて、自分に嘘をつかない、ということですね。ありがとうございました。
日本での生活は18年になる。
あとがき
従事してきた先生の話をするとき、とてもうれしそうに話してくれたのが印象的でした。特にグルジの存在はクランティにとっては特別であることが、よく伝わってきました。日本に住む唯一のアシュタンガヨガ正式認定講師、かつヨーロッパ、アジア、アメリカで指導経験が豊富なクランティから、日常的に指導を受けられるのはとても贅沢なことだと思います。
≫クランティが指導するヨガアライアンス認定RYT200コース
Kranti(クランティ) |