スタジオ・ヨギー創業ストーリー(vol.1)

前回(2025年8月13日)の記事に対して、設立当初から関わっていたインストラクターの方からも「そんな事実は知りませんでした」と驚きの声をいただきました。反響の大きさに、もう少し当時のことをヨギー創業者として書き残してみたいと思います。

まずお伝えしておきたいのは、企業、特に創業期のストーリーは、立場によって見え方や認識が異なるということです。ここに書くのはあくまで私自身の視点であり、もう20年も前の話。特定の個人や組織を批判する意図などはまったくありません。

 

ヨガとの出会い ― Hさんからの一冊の本

ITバブルのころ、私たちはITベンチャーで朝から深夜まで働きづめの日々を過ごしていました。会社は上場しており、私は役員として四半期ごとの決算に追われる毎日。2001年9月11日、同時多発テロが起こった日も、私と伊藤肇(スタジオ・ヨギー創業メンバー、社員第一号)は、深夜までデスクに向かっていました。

そんな折、過労から帯状疱疹を発症。今にして思えば、軽いうつの症状もあったように思います。医師から「環境を変えた方がいい」と言われ、選択肢として起業についても考え始めるようになりました。

ちょうどその頃、外資系企業時代の先輩であるHさんと月に一度ランチをしており、相談を持ちかけました。Hさんは当時、上場企業のCFO。「自分もストレス対策をしているよ。ヨガの呼吸法がいいらしい」と言って、一冊の本をプレゼントしてくれました。

のちにHさんはベンチャー投資家となり、シード期のヨギーに出資してくださることになります。(ヨギー社外取締役だった四角さんの書籍プロデュースもHさんによるもの)


初めてのヨガクラス ― 一年分の深呼吸をしたような感覚

さっそくヨガを体験してみようとGoogleで検索し、三軒茶屋のダンススタジオで開かれていたパワーヨガのクラスを見つけました。2003年の秋ごろのこと。まだヨガを習える場所は少ない時代です。

90分のクラスを担当していたのは、美声のイケメン先生。生徒は二人だけ。クラスを終えると、まるで一年分の深呼吸をしたかのように、頭も身体もスッキリ。

その足で会社に戻り、再び残業に取りかかりましたが、いつも以上に集中できる自分に驚きました。これが、ヨガの可能性を強く感じた最初の体験です。(ちなみに、この先生がのちにヨギー第一号インストラクター、初代ディレクターとなるAさん。現在はご自身のキリスト教会で牧師として活動されています)


「ヨガが中年男性を救うのでは?」という気づき

私は地方の出身ですが、この頃、姉の同級生の独身男性が二人続けて自殺してしまい大きなショックを受けました。女性は年代問わず楽しそうにしているのに、地域コミュニティが失われる中、特に中年男性は孤立している――そう感じました。「ヨガが広まれば、中年男性が救われるのでは?」「3万人を超える自殺者を減らせるのでは?」という思いが、いまも私の活動の根っこにあります。


LOHASとの接点 ― 河村さん(故人)との出会い

ヨガを始めて1ヶ月ほど経った頃、再びHさんとランチをしました。ヨガを始めた話をすると、「確かにアメリカではヨガブームだけど、今は“LOHAS(ロハス)”というライフスタイルが来てるぞ」と教えてくれました。

そこで、Hさんの紹介でLOHAS分野で起業準備をしていたIさん(世界的ヒットの音楽制作ソフト開発者)を紹介いただき、何か一緒にできないかと相談を始めました。Iさんによれば、アメリカでは Gaiam という会社がヨガDVDを数百万枚売るなど注目されているとのこと。Iさんはヨギー創業当初、事業開発部長として名刺を持って活動してくださることになります。(Iさんは、LOHASのエバンジェリストとして活躍され、本も出版されました)

さらにHさんからもう一人紹介いただいたのが、のちの共同創業者、河村さんでした。河村さんは20歳年上で、当時は上場している出版・映画関連会社の社長。NYで流行しているヨガアパレルを日本で展開しようとされていました。

余談ですが、Hさん、Iさん、河村さんは青山のフィットネスジムの会員で、平日の朝によくプールで顔を合わせていたそうです。気づけばヨギーの構想はプールサイドでも語られるようになっていました。


*河村さんは、2022年6月11日にお亡くなりになりました。生前よくタッグを組んでいた藤井道人監督「港のひかり」(2025年11月14日公開)でも企画者としてクレジットされていらっしゃいます。



LOHASからヨガ特化へ ― 構想期の議論

2003年の冬ごろから2004年にかけて、私とHさん、Iさん、そして河村さんの4人でヨガを含めたLOHAS関連事業について議論する場が何度かありました。

河村さんは、「星の砂」「なめ猫」「エリマキトカゲ」「エアロビクス」など、ご自身がプロデュースし社会現象を巻き起こした話(伝説?)を、いつも楽しそうにしてくれました。特にエアロビクスは、「アーロビックだと言いにくいから、エアロビクスで商標をとった」と言っておられました。

LOHASはバズワード的で曖昧な概念でしたが、まずは準備が進んでいたNY発のヨガアパレル事業を先行し、次にIさんがGaiamとベストセラーヨガDVDの日本語化を交渉、河村さんの会社で制作・販売する――という構想がまとまりつつありました。

この段階では、まだヨガスタジオ事業は検討していませんでした。

そして、最年少の私が社長になり、資金調達は河村さんを中心に進めることに。実際にはヨガアパレルの事業計画もまったくなかったため、ゼロから作ることになりました。

「アパレルを売る前に、まずヨガそのものを啓蒙する必要がある」そう感じた私は、スタジオを併設するアイデアを提案。利益計画などの数字面は、上場企業CFO経験者のHさんに助けてもらいました。

(つづく)