スタジオ・ヨギー創業ストーリー(vol.2)

スタジオ・ヨギー創業ストーリー(vol.1)からのつづき

 

方向転換 ― ヨガアパレルからスタジオ事業へ

私も前職を辞め、出資も完了し社長就任の手続きを終え、店舗づくりに取り掛かった矢先のこと。共同創業者の河村さんから「ヨガアパレル事業が暗礁に乗り上げている」と聞かされました。先方がなんと1億円以上のロイヤリティの前払いを契約条件に提示してきたのです。

私は「それなら撤退してはどうか」と提案し、事業計画を変更してヨガスタジオのみで営業を開始することにしました。


スタジオ準備 ― “yoggy”という名前に込めた思い

急ピッチでスタジオの開業準備が進みます。コーポレートカラーは私のラッキーカラー、山吹色(UTLでも使用しています)。ロゴと名刺デザインは河村さんの知人の姪御さん、ウェブサイトは伊藤肇(社員第一号の創業メンバー)の元同僚(Yahoo! JAPAN立ち上げメンバー)に、私の隣に座ってもらいながら口頭で指示をして、3時間で完成しました。

クリエイティブ面で配慮したのは、ヨガのアーサナ(ポーズ)画像を一切使わないこと。「難しい」「特別な人向け」という印象を避けたかったのです。

“yoggy”という名前には、“yogi(ヨガをする人)”に“doggy(子犬)”のような親しみやすさを込めました。


原宿・竹下通りに一号店オープン

一号店は、原宿の竹下通りにある元アパレルショールームの居抜き物件。壁全面が鏡張りで、床と照明だけを変更しました。(のちに鏡はすべて隠すことに)

デザインのテーマは「インドではなく、NYスタイル」。ヨガスタジオ用の床は、環境に配慮した無垢のシルバーパイン材を採用。先輩・友人たちのおかげで家賃も格安で、内装工事費も最小限に抑えることができました。

そうそう、一番の思い出はブラックマットをみんなでカットしたこと。アシュタンガをされていた初代ディレクターAさんが「マットだけは、絶対ブラックマットで!」と言われるので、TYGのchamaさんに電話してロールの状態で送ってもらいました。確かオーストラリアからの輸入でなかなか届かずドキドキしました。よくよく考えれば競合なわけで、chamaさんにはとても感謝しています。


インストラクターとブランドの立ち上げ

ヨガスタジオ事業は初期投資も少なく、撤退リスクも低い。そのぶん競合が増えると予想し、強いブランドづくりが重要だと感じていました。多店舗展開して面を押さえることも頭にありました。

クラス名称は初代ディレクターAさんと私で考えました。(ほとんどが現在まで使用されています)オウム事件の影響もあり、**non-religious(非宗教)**を掲げました。Aさんはクリスチャンでしたが、スタジオでは布教活動はもちろん、宗教的な話はしないことを当然理解されていました。また、インストラクターにはインドっぽいウェアやマントラを禁止しました。

当初のインストラクターは、Aさん、スタジオマネージャーKさんの元同僚Rさん(のちにキッズヨガ専門スタジオを開設)、アシュタンガヨガのMさん、そして少し遅れてNさん(当初は事務方。のちに養成コースを一緒に立ち上げます)

ヨガスタジオの場合、ブランドイメージを醸成する元となるのは、スタジオの顔であるインストラクターの立ち振る舞いや雰囲気です。服装やスタジオで使用するワードの選定なども細かく気を遣いました。


LAでの挑戦 ― Gaiam創業者との出会い

2004年4月、開業準備が整ったタイミングで、Iさんと共にLAで開催されるLOHAS国際会議「LOHAS FORUM(LOHAS 8)」へ。目的は、英語圏で数百万枚を売り上げたヨガDVDを手掛けるGaiamの創業者イルカ(Jirka Rysavy)さんと会って交渉すること。ノーアポでしたが・・・。

前日のレセプションで190㎝の長身の彼を見つけ、つたない英語で「I want to sell your DVD in Japan.」を3回ほど繰り返すと、笑顔で「分かった、事業計画とロイヤリティを提案して」と言われました。

その夜にA4用紙2枚の計画書を作り、翌朝の朝食会場で手渡し。イルカさんは笑顔で「君たちまじめだな!」と言ってくれ、すぐに担当役員に電話をして条件を確認。「ローカライズには費用が掛かるだろうから、ロイヤリティは少し下げてもいいよ」と。なんと、その場で合意を得ることができました。(正式契約は後日です)


ヨギー、初のメディア露出とNY訪問

LOHAS FORUM会期中、日本人参加者が少なかったこともあり、雑誌『ソトコト』の取材を受けました。ソトコトのライター、木村さんはのちに日本初のLOHAS本を出します。「日本で本格的なヨガスタジオを準備中」と紹介され、これがヨギー初のメディア露出となりました。

LOHAS FORUMの帰り道、急遽、NYに行くことにしました。NYスタイルのヨガスタジオをうたう以上、有名なスタジオを見たり、lululemonにも行きたかったので。案内は河村さんの紹介で通訳・コーディネーターのTさんに依頼。Tさんは河村さんの映画業界の知り合いで、留学していた娘さんのお世話もしてもらっていたとか。河村さんがヨガアパレル事業のリサーチなども以前からお願いしており、ヨギーでも何か業務委託の仕事をまわして欲しい、と言われていました。

5ヶ所ほど有名ヨガスタジオをまわり、帰国後もそこで出会った人たちとTさんを介して継続的にコンタクトを取り続けました。六本木スタジオができるタイミングで来日してもらったり。なお、ヤスシさんに会ったのは、そのタイミングだったか少し後だったか記憶が曖昧です。

コミュニケーション能力が高いTさんには、業務委託の外部スタッフとしてNYでのリサーチや現地インストラクターとの交渉などを引き続きお願いすることにしました。また、Tさんが居住する住所をヨギーのNY支社として使わせてもらうことに。その後、徐々にヨギーの仕事を増やしていただくようになります。(まさか後にTさんがヨギーの6代目?の社長になるとは、当時は誰も想像もしていませんでした)


原宿スタジオ、ついにオープン!

帰国後すぐ、原宿一号店がオープン。ネットマーケティングでの集客も上々で、3ヶ月で単月黒字を達成。1年以内の初期投資回収が見込める状況になりました。

オープン2ヶ月後には、初代ディレクターAさん初の書籍を発行。三井不動産が運営する日本初のストレスマネジメント専用施設へのインストラクター派遣、そしてティーチャートレーニング(養成コース)の開始へと進みました。

ほどなくして、伊藤肇が懇意にしていたIT企業時代の名古屋の取引先からフランチャイズをさせて欲しいと依頼がありました。私はフランチャイズには反対だったので一度は断りましたが、河村さんと伊藤がしっかりサポートすること、加盟店に対し一方的に不利な条件にしないことを条件にOKしました。(その名古屋の企業の社長が、今回のヨギー破産手続きを担うこととなったヨギー最後の社長、清水さんです)

こうして、スタジオ・ヨギーの本格的な歩みが始まりました。

(つづく)