西岡ゆき:日本アイアンガーヨガ協会 理事長が問い続ける「生きるとは」
One World, Many Asanas vol.8
「One World, Many Asanas」は、世界中の人々がどのようにヨガを実生活に取り入れて実践しているのか探求し、共有することを目的とするプロジェクトです。
今回インタビューしたのは、アンダーザライト ヨガスクールでアイアンガーヨガとYOGA for Healthy Aging(更年期〜シニア世代向け)クラスを指導し、2026年4月より日本アイアンガーヨガ協会の理事長を務める西岡ゆき。子どもの頃から抱き続けてきた「生きるとは」という問いが、インド、パリ、そして東京のクラスへとつながっていく歩みをたどります。
#1 子どもの頃からの問いと、ギャーナ・ヨガとの出会い
UTL ヨガを始められたのは2000年ごろと伺っています。当時のことを教えてください。
西岡 私は生まれ育った環境において、子どもの頃から「生きるとは」というテーマがずっと根付いていたんです。ちょっと変なんですけど。人一人一人がどうやったら幸せに生きられるのかな、と考えている、あまり子どもらしくない子どもだったかもしれません。
ヨガに出会ったとき、最初の先生はインド人の先生で、哲学的なことを話す方でした。そこでギャーナ・ヨガ(Jñāna Yoga/智慧のヨガ)というものがあると知って。「ギャーナ・ヨガとは」と先生が話したとき、「あ、それ私が子どもの頃からやってきたことだ」と思ったんですね。
UTL ご自身が考え続けてきたことに、名前があった。
西岡 そうなんです。「あるんだ。それはもうメソッドとしてあるんだ、ヨガに」と思って、とても嬉しくなりました。その先生はもちろん肉体のヨガを教えていたのですが、肉体の研究もできるし、ギャーナ・ヨガもできる。自分の底の部分でずっとやってきたことと重なって、すごく嬉しくなっちゃったんですよね。
#2 「あなたが気づかなければいけないところだったから」
UTL そこからアイアンガーヨガに出会うまでの経緯を教えてください。
西岡 アシュタンガヨガ(Ashtanga Yoga)やシヴァナンダヨガ(Sivananda Yoga)など、いろいろなヨガをやってきました。アイアンガーヨガ(Iyengar Yoga)に出会ったのは2005年、インドのラジーヴ&スワティ・チャンチャニ(Rajiv and Swati Chanchani)という先生たちから学んだのが最初です。
最初の印象は、正直に言うと反感でした。声を張るし、ルールが多い。「そんなにうるさく言わなくてもいいじゃない、もう知ってるよ」って。私はどちらかというと「放っておいてください」というタイプなんです。自分が感じることは、その場ですぐに来るのではなく、時間差であとから染み出してくるもの。それは強制されるものではないんじゃないか、という考えが自分の中にあったんですね。その真っ向から反対のことをされるので、一人でムカついていました。
UTL それがどうして変わったのですか。
西岡 そのとき私は膝を痛めていたのですが、自分ではあまり自覚がなかったんです。ポーズはできます、という感じでやれていた。ところが先生は私より先に見抜いていて、膝に負担のかかるポーズをずっとやらせていたんですよ。
私は嫌だなと避けるようにポーズを取っていたら、「あなたはちゃんとやっていない」と道具を指定されて、明らかに膝を使わなければできないポーズをやることになった。脂汗が出てくるし、きつい。それで「先生、これを続けたら膝を痛めてしまいます」と言いに行ったら、「そうでしょう。だからやらせていたのよ」と言われたんです。
UTL あえて、だったんですね。
西岡 「それはあなたが気づかなければいけないところだったからよ」と。「あなたは、どうやって膝を痛めたか覚えている?」と聞かれて、考えてみたら覚えていない。どのポーズだったかも分からない。「そうでしょう。それぐらいの意識で練習していたからよ」と言われて、はっとしました。確かにそうだと思ったんですね。
「今、ここを見なさい。あとからじゃなくて、自分のペースじゃなくて」という練習。私はそれをやってきていなかった。3週間のインテンシブコースだったのですが、膝はいったんもっと痛くなって、「ほら、ひどいことをするからだ」なんて思っていました。ところが終わる3日前に、痛みもなく、何とも快適な状態の体になっていたんです。
UTL 頭とは逆のことが体に起きた。
西岡 頭では「これはおかしいことをされている、絶対に悪くなっている」と念じているのに、体のほうは良くなっちゃった。どういうこと? と。「思ったらそうなる」と私はそれまで思っていたのに、体のほうに知性があったんです。今これ、今これ、と、どう感じるかを徹底的にやりなさい、というのがアイアンガーヨガなんだと気づいて、これはやらなくてはいけないと思いました。そういう練習の仕方をしたことがなかったから。
自分は繊細に、微細に感じ取れるほうだと勝手に思っていたのですが、思い込んでいたところがあったんですね。今感じることは、本当に今しかない。その気づきは、更年期に入って年齢を重ねていくうえでも非常に役に立っていますし、シニアの方を教えるうえでも土台になっています。
#3 教える仕事にはつきたくなかった
UTL 指導を始めたきっかけを教えてください。
西岡 実は、教えるという仕事はできるだけやりたくなかったんです。私の父が中学校の校長など長年教職に携わってきた人で、「指導者」という立場を子どもの頃から身近に見てきたので、尊敬と否定の思いが複雑に根付いていました。だから、自分は教える仕事には絶対つかないと思っていたんです。
ただ、2000年ごろはまだヨガが流行っていなくて、スタジオも少なかった時代。「ヨガを教えてくれませんか」と声をかけられることがあって、最初に教えたのがシニアクラスの代行だったんです。
UTL 代行、ですか。
西岡 オーストラリア人の練習仲間が、カナダのモントリオールのティーチャートレーニングに行くことになって、「僕が持っているクラスを1ヶ月だけ代わってくれないか」と。私はずっと断り続けていました。嫌だったんです、教えるのが。でも「なんで断るの」としつこく言われて、「じゃあ1回だけだよ」と引き受けたのが始まりでした。
当時は代官山で教えていたクラスで、生徒さんはご年配の女性ばかり。彼はかっこよくて人気があったから、代わりに来た新米の私に、みなさんのモチベーションは下がりきっていました。最初の3日間は「先生、教えなくていいよ。そこに座って監督していて」と言われていたくらいです(笑)。そうしたら、あるとき生徒さんの一人が「先生、せっかく来てるんだから何か教えてよ」と言ってくれて。「教えていいんだったら教えましょうか。その代わり、私は彼とは全く違いますよ」と前置きして、教え始めました。
UTL その1ヶ月で、何が起きたのでしょうか。
西岡 だんだん、みなさんが変わっていったんです。動きが変わって、愚痴を言わなくなって、悪口もゴシップも言わなくなって、洋服の色が明るくなった。大したことはやっていないんですよ。だけど「なんだこれ、私の目の錯覚かな」と思うような変化を目の当たりにしました。
最終日に、遠方から電車で2時間かけて通っていらっしゃる80代の生徒さんがいて。その日、いつになく伸びやかで明るくポーズを取っていらしたので、思わず「すごく美しい」と言ってしまったんですね。そうしたらその方がぱっと振り向いて、「え、本当?」って。そんなにかわいらしい笑顔をする方だったんだ、とまぶしいくらいでした。
あとで更衣室で、「先生、さっきの言葉、聞き間違いじゃないわよね。今日、その言葉をもらったのは2回目なの」とおっしゃるんです。実はその方、熟年離婚を考えていらして。その朝、今までコミュニケーションを取らなかったご主人が珍しく玄関に見送りに来て、「お前、なんか最近変わったね。綺麗になったね」と言われたそうなんです。それで「私、離婚しようと思っていたけれど、やめました。主人と生きていきます」とみなさんの前ではっきり宣言されて。うわあっと圧倒されて、同時にすごく嬉しくなりました。
UTL すごい話ですね。
西岡 実はちょうどその頃、出会っていたフランス人のシヴァナンダヨガ(Sivananda Yoga)の先生から、「ヨガの練習をすることは、あなたにとって幸せですか?」としつこく聞かれていたんです。私にとってヨガを練習することは日常の習慣で、それが「幸せ」だと思っていたから、当たり前すぎて、逆に「私が不幸に見えるのか」とムカついたりもしながら(笑)、心の奥底であらためて「私は本当にヨガを練習して幸せかな?」と自問自答するようになっていました。すぐに「そうだよ」という答えが返ってこないものだから、余計に不安になって。
その80代のおばあちゃまの出来事が起きたとき、『幸せって、これか』とポンと降ってきたんです。自分の練習の中ではなくて、『教えるということ』の中に。生まれ育った環境に影響された複雑な思いに囚われないで、今、突き動かされること「あ!これ」に従いたいと、シンプルに心から思えた。それを機に、教えることを少しずつ増やしていった。それが原点です。
その後インドで、チャンチャニ先生たちからも哲学のクラスで「教えてみたいと思ったら、あなたの目の前に道はもうできている。後はそこを歩くだけ。あなたが決めるだけです」と言われました。私の人生は、いろいろな人たちの言葉にフックして動いてきたところがあるんです。
#4 フランス・パリの師、ファイク・ビリア
UTL フランスのファイク・ビリア(Faeq Biria)にはどのように出会ったのですか。
西岡 インドの師から「日本に住んでいるなら、定期的にアイアンガーヨガを学べる先生を見つけなさい」と言われていました。でも当時の日本では、自分に合うメンターがなかなか見つからなくて。「今の自分に必要なメンターに出会わせてほしい」とずっと願っていたんです。
そんなとき、ベルギーの友人とスカイプで話していて、「アイアンガーヨガのメンターを探しているんだけど」と言ったら、「パリにいるよ、そういう先生が」と。パリは想定外でした。
ヨガに出会う前、私はイラストやデザインなど広告の分野に従事していました。フランス・パリ在住のアーティストである叔母の影響で、23歳ごろにパリに住んでいた頃を思い出し、シニカルで芸術的な街に、アイアンガーヨガのやり方は絶対合わないと思っていたから。住所を聞いたらシャンゼリゼ通りの近くだと言うんです。信じられない、逆に会ってみたい、と思って(笑)。すぐに調べて、先生の小さな顔写真を見た瞬間に「この人に会いたい」と思いました。
メールを送ったら10日後に返信が来て、年間予定のPDFがばっと送られてきて、「夏のトレーニングにいらっしゃい」と。でも、いきなり1ヶ月のトレーニングはハードルが高いので、まず冬にパリで行われるワークショップに出ることにしました。
UTL 初めて会ったときのことは覚えていますか。
西岡 面白いのが、パリのセンターのスケジュールには先生の名前が書いていないんですよ。誰がどのクラスを教えているか分からない。受付で聞いても絶対に教えてくれない。それで「木曜19時のレベル4のクラス、絶対これだ」と勘で行ったら、いつもより人が多くて。早めに行って座っていたら、サンダルウッドの香りとともにすうっと現れて前に座って、ぱっと目を開けた瞬間に「この先生だ!」と感覚的に分かりました。やっぱりこの先生のもとでやりたいと思って、世界中からたくさんの人たちが集まり修練する夏のトレーニングに通うことになった。そしてイスラエル、香港、ジャカルタ、インドと、さまざまな国で開催されるトレーニングにも参加しました。それから毎年毎年、コロナの時期に先生がお亡くなりになるまで、ずっと学び続けました。
UTL ファイク・ビリアから学んだ、いちばん大きなことは何でしょうか。
西岡 「心と体と呼吸を観察しなさい。さまざまな視点から注意深く見なさい」。そこは本当に徹底的に教わりました。それからホスピタリティ。生徒に対して惜しみなくシェアをする、生徒のコミュニティを育む。師から託されたヨガを伝え続けるカルマヨガに徹していらっしゃいました。グルジ(Guruji=B.K.S.アイアンガー師/B.K.S. Iyengar)から学んだことを、あふれるくらい教えてくださった先生でした。
ファイク先生は哲学的な素養のある家に生まれた方で、禅をはじめ各国の宗教的な思想やインド哲学を深く研究されていたんですね。ヨガ・スートラ(Yoga Sūtra)もとても深く学んでいらして、グルジが名前に敬意を込めて「サー」を付けて呼んでいたというエピソードもあるくらい、哲学の研究において信頼の厚い方でした。
写真提供:西岡ゆき
#5 インドで受け取ったもの——RIMYIとベルール
UTL プネ(Pune)のRIMYI(Ramamani Iyengar Memorial Yoga Institute/ラママニ・アイアンガー・メモリアル・ヨガ・インスティテュート)にも長く通われています。あの場所で練習する意味とは。
西岡 RIMYIは、アイアンガーヨガの練習者にとって学びの聖地です。
RIMYIのホールには、グルジのポーズの写真が壁や天井いっぱいに貼ってあるんです。クラスでは先生が「今からこのアーサナをやるけれど、まずグルジの練習の写真を見なさい。目からインスピレーションをキャッチして」と小さな写真を指差して、それから練習が始まる。ストーリー、体のこと、アライメント、道具の使い方と、多岐にわたって話してくださる。
初めて行ったとき、最後のシャバーサナ(Savasana)で仰向けになった瞬間に、天井のグルジのポーズの写真たちが、星が降ってくるようにぶわっと目に入ってきたんです。この場所でみなさんがずっと練習してきたんだな、という歴史とみんなの想いが詰まっている。そう感じたら細胞がうわあっと開いて、涙が一斉に出ました。
自分の家でもスタジオでも練習はできるけれど、あのような感覚はあの場所でしか起きない。1年に1回はRIMYIに行って練習することに意義があると思っています。B.K.S. アイアンガー先生もギータ先生もお亡くなりになっているけれど、あの場所には今も、学び続けてきたみんなの知恵と思いやりがあり、亡くなられた先生たちの存在が「いる」んですよ。グルジだったらこの道具をどうやって使っていたのかな、と自然に思わされる場所です。
写真提供:西岡ゆき
UTL 近年のRIMYIはいかがですか。
西岡 去年行って驚いたのは、ローカルのインドの生徒さんたちがぎっしりだったこと。以前は海外からの練習者が中心だったのですが、地元のおばちゃんたちが普通に混じって練習している。ベテランの先生も若手の先生も同じ場に立って、みんなで同じ方向を向いているんです。
今の先生たちは「レジェンドたちの想いは引き継ぐ。でも、今の私たちで刷新していく。今できることをやる」ということを、言葉ではなく日々の行動で実践しています。情報も食べるものも、みんなでシェアする文化があって、コミュニティをとても大切にする先生やスタッフたち。そして「いつでも戻っておいで」と言ってくれる愛ある場所です。
私、お土産にどら焼きを持って行ったら、みんな「日本のスイーツだ」と大喜びしてくれたのに、開けた瞬間「これ、卵が入ってるよね」って。みなさんピュア・ベジタリアンで卵は食べないんです。「親戚にあげてね」と言われて、かわいそうなことをしました(笑)。もらったお土産もみんなでシェアするのが当たり前なんですよね。
UTL グルジの故郷、ベルール(Bellur)にも何度も行かれているそうですね。
西岡 ベルールは、ヨギとしてのグルジと、人間としてのグルジ、その両方のインスピレーションを私にくれた場所です。とても貧しい村なんですね。グルジはそこにいきなりヨガホールを建てたわけではなくて、まず、学校に行ったことがない子どもたちのために学校を作った。すると今度は、水が汚くて病気になる子どもたちが多いことが分かって、「まずは健康にならないと学ぶことができない」と、病院を作った。小学校、中学校、高校、大学と広げていって、その子たちが大きくなったら今度は仕事がない。それでヨガホールを作って、ヨガを学んで先生になりなさい、と。ヨガを教えることが、その村で「生きる」ことを支える仕事になっているんです。今、ベルールのヨガセンターはヨガホールと宿泊施設も兼ね備えていて、学校や病院の管理・運営に村の人たちが従事しています。
子どもの頃から考えてきた『生きるとは』ということを、グルジはまるごとチャレンジしていたんだな、と分かりました。私にはあんな壮大なことはできない。だからこそ、自分のやれることに集中してやらねばいけないな、と気づかされました。
写真提供:西岡ゆき
#6 ままならないものと、ともにいる
UTL 2026年4月からは日本アイアンガーヨガ協会の理事長にも就任されました。
西岡 会員のみなさんから託していただいたお役目です。私は、すべての人とフラットに、みんなでやっていこうという姿勢でいたいと思っています。学びの場や発信の機会を仕掛けていくこと。日本のアイアンガーヨガのコミュニティを、みんなで作っていけたらと思っています。
UTL いまの時代にヨガを続ける意味を、どう考えていらっしゃいますか。
西岡 今はAIで、いろいろな答えが拾える時代じゃないですか。検索する上ではとても便利。でも、それは使いようだと思っていて。私がヨガをやめない理由は、まだまだ分からないことがいっぱいあるからなんです。
見えないことだらけ。答えがない、言語化できない。「なんだろうこれ。でも、なんかできちゃった」「理由はないけど、なんか好き」。そういう領域は、データとかエビデンスとかが取れないから危ういと言われるかもしれない。でも私は、そのままならなさが良かったと思っているんです。みんな、ままならないのは嫌だから着地したい、保険をかけたいと思うじゃないですか。そうではなくて、迷いながら見つけていく。すぐに着地しないで、変化していく中で「今、こうだよね」と見ていく。それは心からコミットしないと見えてこないんですね。自分という唯一ままならないカオスに心からコミットして見出していく、それがヨガの実践そのものだと思います。
B.K.S. アイアンガー先生は生徒を指導するとき、必ず「To the Maximum(最大限に)」と言っていたそうです。声を張るのは、その人の細胞にその瞬間に響かせるため。総じて言えば、ちゃんとコミットすること、心からやること。私の先生たちに共通していた教えです。そこを抜け目なくやらなくちゃいけないなと思っています。そこは真剣に、能動的に観察することと、受動的に観察することのプロセスを続けていく、という感じなんですけどね(笑)。
UTL シニアクラスでも、その姿勢は同じですか。
西岡 年を取るということは、手間がかかることなんですよ。本当に。自分自身を無防備にほったらかしにしておけなくなるから、いちいち時間がかかって、24時間があっという間。だからこそ、まず自分自身をちゃんと見ること、観察すること。それが自分への思いやりで、人への思いやりの土台にもなる。それは、ヨガの練習がホスピタリティそのものだからできることなんです。
生徒さんに「気づきなさい」とは言いません。思い込みを捨てろ、とも言わない。肉体から、できるだけヨガの練習に集中できるよう工夫して引き出してさしあげられたらいいなと思っています。私が膝で教わったのと、同じことですね。
あとがき
西岡は自身の歩みを、いろいろな人たちの言葉に「フック」して動いてきたと振り返ります。ギャーナ・ヨガを教えてくれた最初の先生、「あなたは幸せですか」と問い続けたシヴァナンダヨガの先生、膝の痛みを通して「今、ここ」を教えたチャンチャニ先生、そして「さまざまな角度から思慮深く観察し続けなさい」と、内観するホスピタリティのあり方を教えてくれたパリのファイク・ビリア。言葉を受け取るたびに立ち止まり、自問し、そのたびに一歩踏み出してきた歩みは、迷いながら見つけていくというヨガの実践そのものでした。
インタビューの間、話は何度も行き来しながら、最後には必ず『生きるとは』という子どもの頃からの問いに戻っていきました。その問いを携えて、西岡は今日もマットの上に立っています。ぜひクラスで、『今、ここを見る』練習に触れてください。
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西岡ゆき |
*本記事は2026年8月11日にオンラインで行ったインタビューをもとに構成しています。